神功(じんぐう)皇后像と 幼き応神天皇を抱きた 武内宿禰像
|
|
三石神社の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。
|
後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石という。 (『摂津名所図会』)
|
天平年間(730年頃)僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。 (『西摂大観』)
|
貞観元年(859年)従五位下の神階を授けられる。 (『三代実録』)
|
|
三ツ石の遺跡
|