令和8年

令和7年

令和6年

 大祭前の五月十日、猿田彦氏子当番地区の釜須・髙口両神社役員総代、片田猿田彦会会長・吉岡副会長らの参列のもと、昨年雨天中止で奉仕出来なかった為、本年も猿田彦役を務める兵庫区切戸町六丁目の植田光君(二十五歳)の猿田彦決定奉告祭も斎行され、大祭日の五月二十三日(金曜日)、午後六時からの例祭には、区内神職三名のご助勤奉仕により、神社役員総代・氏子会総代始め氏子崇敬者十六名の参列のもと、例年通り巫女による神前神楽も奉納し厳粛に斎行した。後、会館二階にて直会に入った。

 二十四日(土曜日)、本年は諸般の事情により御旅所を設置出来なかったが、午後一時半より、氏子会総代・氏子役員・自治会関係者の指導により、子供みこしが巡行する予定であったが、当日の天気予報雨天により二十三日早々に中止を決定した。

 二十五日(日曜日)、例大祭最大の神事である神幸式は、本神輿氏子担ぎ手不足のため已む無く、当日の子供みこし巡幸に続き神幸式中止を決定した。

 午後、神宝持奉仕少年少女達には、会館にての写真撮影のため、装束着装時間に参集してもらい、猿田彦を含めた集合記念写真を撮り、後日配布した。

 尚、午後六時からの氏子会・猿田彦会の合同直会は神幸式中止であったため取り止めとした。

令和5年

 三月、新型コロナウイルス感染防止のマスク使用も個人の判断となり、さらに五月八日、政府は新型コロナウイルス感染症の位置づけを「5類」に引き下げたため、本年、四年ぶりに例大祭神幸式を斎行した。

 大祭前の四月二十三日、猿田彦会総会前に猿田彦担当地区総代一名・猿田彦会会長他三名計五名参列のもと、兵庫区今出在家町の豊永晃誠君(二十一歳)の猿田彦決定奉告祭も斎行され、大祭日の五月十九日(金曜日)、午後六時からの例祭には、区内神職のご助勤奉仕により、総代・氏子自治会長始め氏子崇敬者十四名の参列のもと、例年通り巫女による神前神楽も奉納し厳粛に斎行した。後、会館二階にて直会に入った。

 二十日(土曜日)午前八時より、各地区お旅所の入魂修祓式を斎行し(諸事情により、本年の御旅所は北部南、東部の二箇所のみであった)、午後一時半より、地区総代・氏子役員・自治会関係者の指導により、子供みこし三基(例年四基の子供みこしが巡行しているが、南部氏子会が奉仕者がいないということで本年は子供みこしを出さなかった。後日神社に、南部氏子の人から、子供みこしが廻ってこなかったのは寂しかったとのお声が届いた)が神輿唄を声高らかに唄いながら氏子町内を巡幸、午後三時半を以って無事終了した。例年通り事故の無きよう各子供みこしには自社雇のガードマンが付き、兵庫警察署派遣六名の警察官らが警備と交通整理にあたった。

 二十一日(日曜日)、五月晴れに恵まれ、例大祭最大の神事である神幸式が賑々しく斎行された。午後一時過ぎの殿内発輿祭斎行後の二時前より、豊永晃誠君扮する猿田彦の勇壮な踊りに続き、直垂装束姿の総代や、和田岬小学生達の直垂装束の神宝持役十四名、吉田中学校生男女三十二名(付添先生五名)による本神輿舁上げ役、宮司太刀持役である西区井吹台北町の森光海吏君(中一)も母親共々に行列に加わり、その後に各地区子供みこし三基、総勢約一五〇名の神幸式大行列が出発し、約二時間半かけて氏子内を巡幸した。

例年より少なく感じられたが、巡幸道の氏子の人達も、四年ぶりの神幸式に拍手を以って出迎えると共に、氏神様の巡幸に手を合せ祈念していた。また、御崎公園での給水休憩では、猿田彦の豊永家親族多数が詰めかけ記念写真に納まっていた。

 午後六時から、会館二階にて神幸式奉仕の総代始め氏子三地区(北部北・北部南・東部)の人達又猿田彦会員達の出席による合同直会が開催され、無事神幸式が斎行できた喜びで盛り上がっていた。